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祭竜を見るべく、ドンパー村(ドンは東、パーは土ヘンに覇)を訪ねたのは、かれこれ十年前のことである。私はナシ族の民間民俗研究者・和尚礼とイ族の羅某(近辺の村の村長だった)とともに、何時間もかけて、石や朽ちた枝葉に降り積もった雪の上を歩きつづけた。
森の中で羅某の銃の腕前が舌を巻くほどであることが証明された。数十メートル離れた松林に弾を撃ち込むと、雪の上に何かが落ちた。近づいて手に取ると、それは綿のように軽い郭公で、生きているときそのままにぬくもりがあった。生き返れるのではないかと思って、私はそれを手のひらにのせたまま、雪に歩を印していった。村に着く頃にはしかし、小鳥は硬く、冷たくなっていた。生き物は物質に変わっていた。
森を抜けると、名を知らない大きな山が現れた。哈巴(ハーバー)雪山や玉竜雪山といった近くの有名な山よりも崇高で美しかった。その麓のあたりから立ち上る煙を見て、それがドンパー村であることがわかった。
ドンパー村は隔絶された地域にあり、祭りだというのに、私を除き外部者はだれも来ていなかった。二日間、トンパたちは39冊のシュ(竜)経典をよみながら、さまざまな儀礼を行う。人々は地面に坐ってその場で作ったものや、持ち込んだ食物を食べ、ピクニックを楽しむ。それから自然発生的に人々は輪を作り、踊り、歌った。
祭りの場に入ると、よほど珍しかったのか、何十人もの村人が私のまわりにあつまってきた。私のほうはといえば、酔っているのか、老齢のためか、なかなか馬に乗れない老トンパ(ナシ族祭司)が気になった。数少ない祭竜専門の大トンパであることはまちがいなかった。
竜(シュ)といっても中国の竜や西欧のドラゴンとは異なり、インドやチベットのナーガと同一視されることもあったが、正確には竜というより自然神だった。チベットのボン教のセ(sad)がもっとも近いと思われる。
ナシ族は祭天の民とよくいわれるが、祭竜の民といってもよかった。しかし本格的な祭竜をおこなう地域はほとんど消滅し、ここドンパー村で継承されるだけになった。
残念ながら祭竜をすべて見ることはできなかった。白地(白水台)の祭天を見るためには、もう出て行かなければならなかったのである。羅某の村まで歩き、そこから羅某の運転する中国ジープに乗って山道を急いだ。急ぐあまり、羊をはねてしまった。羊はびっこをひきながら、林の中に消えた。
「まずいな。イ族の羊だ。いくら要求されるかわからない」
おなじイ族だというのに、羅某はどうして血相を変えているのだろうかといぶかしく思った。イ族は屈強な民族で、一筋縄ではいかないということらしい。このケガをした羊はいずれ死んでしまうだろう。ひき逃げということになれば怒らせることはまちがいないのに、われわれは白水台に向かって急がねばならなかったのだ。